ホーム > 大学案内 > 学長室から > 2009年6月
まじめな大学
大学というのは、規程により定期的に外部の検査を受ける必要がある。学内の評価ではなく、これは外部の機関(第三者)が行うので、準備にも緊張感が走る。「ダメ大学」の烙印が押されたら立ち行かなくなるだろう。
私たちの大学は今年が「その年」ということで、膨大な資料を読み返したり、学内の資料をまとめたりの大きな作業があった。なかでも現在を見つめ将来を考えるという、自己評価「報告書」を書くのは、なみ大抵の作業ではなかった。
でもやって良かった。建学の理念からはじまり、お金の出入り(財務状況)に至るあらゆることに関して「自分を見つめなおす機会」となったからだ。
その結果として言えることは、「この大学はきわめてまじめな大学だ」ということだ。自分でこういうことを言うのは宣伝じみているし、いかにも自己満足の典型みたいで嫌味なのだが、本当だからしょうがない。建学の理念はしっかりしているし、教育の理想もある。授業だってちゃんと計画通りやっている。金銭の使い方にしても、間違いの入り込む余地がないほどしっかりしている。
世のなかの大学がレジャーランド化しているなどと言われるが、「ここはチョイと異質だぞ」「マトモだからどうにかなるぞ」というのが本音の感触だ。
護送船団方式
日本がまだ貧しかったころ。そしてオトーサンたちががむしゃらに働いて高度経済成長を実現したころ。日本の銀行は大蔵省(財務省)のきびしい管理下にあった。国民のお金を預かる機関であるし、経済の血液と言われる金融をあずかっている大事な組織。きびしい管理は当たり前というのが常識だった。
政府による管理は「公平」でなくてはならないから、全国一律の決まりのもとで銀行業務が展開された。逆からいうと、どこに行っても同じような顔つきの銀行マンによる銀行業が成り立っていた。似たような組織が団塊をなして政府に守られて動くのは、戦争中の戦艦の移動の様子を連想させるので、これを世の人々は「護送船団方式」と称した。
問題は守られて共同歩調をとっているうちに、それが習い性となり、自主的に独自性を発揮して動くことができなくなってしまったことだ。それでも日本の金融業が国家の壁で守られているうちは良かったが、グローバル化の波が押し寄せた。金融ビッグバンとか言って「自由化」が進むと、自分では歩くことができなくなった銀行が次々と深刻な問題をかかえるようになった。そして金融界の整理統合が始まった。
じつは大学も護送船団方式のもとにあった。文科省の手厚い保護と監督のもとで他大学並みのことをやっていれば、それで間に合った。そのなかで大学組織も、教員も、学生たちもだらけきってしまった。同じような顔つきの学生たちはバイトと遊びに明け暮れ、それでも卒業証書がもらえてそれなりのところに就職できた。
銀行業務に遅れること20年。ようやく大学にもグローバル化の波が押し寄せ始めている。大学の世界比較などということが行なわれて、日本の大学の多くが最低レベルであることも分かってきた。ちょっと気の利いた若者は、高校を卒業すると海外の大学に進学し始めている。企業側も日本の大学卒にこだわらないようになり始めた。
いやはや。今は大学ビッグバンの時代なんですね。護送船団が崩れてしまった以上は、荒波の渦巻く大海原を自力で航海しなければならない。過去の慣習や行きがかりを捨てて、独自性を発揮して、世界の中で生き延びる大学でなくてはならない。
いまこそ人間教育
この世の財宝はむなしく、本当に重要なのは愛だ、というのはキリスト教系の学園でよく耳にする表現だ。この聞きなれたことばが、今ほど真実味をもって身に迫ってくる時代というのも珍しい。2008年にアメリカの投資会社リーマンブラザーズが破綻。その余波は全世界に及び、世界中の経済が不調をかこっている。
お金にも限度があるということがまざまざと見える時代に、私たちは「社会に出てお金儲けをする」卒業生を送り出していいのだろうか。そのような金銭中心社会の「役に立つ人材」を養成するのが私たちの使命だというのだろうか。もちろん明治時代の「富国強兵」以来、「役に立つ人材養成」に対する要望は強い。しかし私たちそのようなことから一線を画した存在だったのではなかろうか。
私たちは経済とか効率、金儲けなどといったことから距離を置いて、愛の教育、心の教育をするという使命を帯びていたはずだ。それにもかかわらず「社会の考え方」みたいなものに流されて、ついつい成績のよい人材、効率的な人材、企業社会に役立ちそうな人材を養成しようと考えてしまいがちだ。しかし誘惑にまけてはならない。流されてはならない。企業社会が破綻した今こそ、自信をもって「私たちの道」を歩むべきではないか。
私たちの道とは、役に立つというよりも人間的に豊かな力をもった卒業生を送り出すところにある。効率的な才能よりも、献身の精神をもった人材を卒業させるところにある。社会の流れに流されるよりも、立ち止まって愛を叫ぶ人材を養成するのが使命だ。
こういえばちょっと「反社会的」なにおいもするが、社会を批判的に眺め(critical thinking)その批判精神をもとに社会をより良い方向に変えていく人材を養成するのが、大学という存在の役目だったはずだ。(「東京純心学園報」6月号に一部収録)
PAGE TOP