大学教員の夏
大学はいま夏休みの真っ盛りだ。学生はいっせいに帰郷し、校内はガランとしてもぬけの殻状態。ほとんどの教員の研究室は電気が消えたまま静まり返って、つい最近までの賑わいが嘘のよう。これが夏の終わりまで続く。こういう状態があるから、世の人々は腹の中で考える。「大学の教員はいいな。ながーい夏休みなんかがあって、ラクチンな仕事だ」。
本当にそうだろうか?こういう「評価」というのは、実情を知らない方々が頭の中で想像する「大学教員」の姿だ。
授業がなくても残務整理や会議がたくさんあって大変だと言いたいのではない。大学教員がこの長い夏季期間中に何をやっているかというと、まず第一に「のびて」いる。授業というのは意外と大変な肉体労働で、これをたとえば7科目(7種類)にわけて数ヶ月にわたってそれぞれ15回教えるとなると、これはただごとではない。毎回の授業は「俳優が舞台に立って最大限のパフォーマンスをする」ようなものだから、知識だけではなく肉体も工夫も意欲も必要になる。4月から7月にかけて合計105回の公演をやらなければならない。毎回同じ内容では、観客である学生の物笑いになる。
学期末ともなると、疲れ果てて文字通りよれよれになった教員たちが、廊下で「あと00日・・・」などといってお互いを励ましあっている姿が見受けられる。この過酷な肉体への負荷は想像を絶するもので、たぶん経験しなければ分からない。
その次に何をやっているかというと、論文、著作、研究、というのはご想像通り。学期中に授業を受け持っていたりすると、ごちゃごちゃと忙しすぎて論文などかけない心理状態になる。学生の出入りなどがあったり、委員会が開催されたり、言うことを聞かない印刷機との格闘(教材作成)などが重なっており、そんな中で「学問の最先端で論じる」などということができるのは、よほどの達人でないかぎり不可能だ。
そこで夏の期間こそはまとまった静かな時間。自分の学問を進展させる「稼ぎ時」だ。米国ではPublish or Perish と言って「書かない学者は腐って消え去れ」というきびしい掟がある。日本ではいまのところそれほどきびしくはないにしても、この稼ぎ時に稼がない教員は学問の世界から立ち遅れて、やがては仲間からも学生からも見放されていく。
そのほかにやるべきことがある、というのは私の意見。やっぱり旅行をしたり、社会経験を深めたり、自分の専門と関係のない読書にふけったりしてほしい。教員の体験や視野が広まれば広まるほど、その授業の中身は豊かになってくる。専門の論文にばかりこもっているのではなく、幅広い教養を身につけてこそ、他人様の「教育」などということができるはず。若い学生たちはセンセの専門領域の造詣の深さも見ているが、もっとよく見ているのはセンセの人柄と教養なのだ。こちらも人並み以上でないと、舞台のうえでの公演はつとまらない。
というわけで、大学教員というのは結構つらい立場にある。不足がちな自分の「実力」を充実させる貴重な機会が夏なのです。