E子さんのケース
2010-04-14 12:56
ひょっとしてこれが一番多いパターンだ。何を目標にして良いかわからない。大学に入ったのだからガクモンをして、アルバイトにはげんで、友達もたくさん作りたいのだが、なんだかいまひとつ腰がすわらない。
そんなわけで、これから先の見通しなども立たない。大学のあとは社会に出て、就職しなければならないことぐらいボンヤリとわかっているのだが、はたして自分は何がやりたいのか、自分は何に向いているのか、五里霧中の状態だ。女子学生らしく明るく楽しくふるまって、まわりに笑顔などふりまいているのだが、正体の良くわからない「漠然とした不安感」がつきまとう・・・・
そんな大学生を目の当たりにして、世のなかのオジサンやオバサンたちは大慌てをする。いわく、ちかごろの大学生は目的意識が薄い。ちゃんとした学生なら自分の行き先くらい知っている。このままでは人生設計がダメになる。ゆとり教育とかのせいでだらしない若者が増えた・・・・
そこでどうなるかというと、「早めに職業意識を植え付けよう」ということで、何とかセミナーが大学1年生向けに開設される。学生にとってはガクモンの仕方もわからないのに、キャリアー、キャリアーといわれてますます人生がわからなくなる。2年生になると何とか株式会社のお偉いさんがやってきてお話をいただくのだが、オフショアトレーディングなんて初耳だ。
そこでオバサンたちに聞きたいのだが、「ご自分の大学生時代に、自分の行き先がわかっていましたか」ということだ。はずかしながら私などは、大学4年の秋ごろまでジャーナリストになろうか、貿易商社に入ろうか、はたまたIT関係の外資系に入ろうか、さんざん迷っていました。まあなんとなく調子に乗って就職を決めました。その後の人生の展開も、思いもかけない方向に向かってしまいました。
昔と今は時代背景が違うにしても、いまの大学生に「早めに人生の終着駅を決めなさい」といってあおるのは、お世話の焼きすぎではないかとチラと考えるのである。そりゃひとの子の親として、子供がはっきりとした人生の行き先を決めてくれるなら、心配無用でありがたい。大学としても世話が焼けず「就職率」があがるので大変ありがたい。
でもオジサンたちも身に覚えがあるように、学生時代とは「青春の彷徨(ほうこう)」の時代だったのではないだろうか。職業の意味を求めて、社会のあるべき姿を求めて、あるいは生きることの意味を探りながら、あちらこちらウロウロするのが「若い人の特権」だったのではなかろうか。
リュックサック、じゃなくてバックパックを背負ってシベリア横断鉄道に乗る、京都のお寺にこもって修業する、あるいは第三世界の恵まれない子供たちのお世話をしてみる、などということは、人生の貴重な教訓を入手する機会でなかったのか。いや修業の場は大学内にもある。むしろ大学こそが人生の道場だった。魂を揺り動かすような本と出合う。あの先生のゼミを取ってみる。この同級生と飲み会に出かける。こちらの先生と論議を重ねる。ガクモンという広大な世界のなかで自由自在に遊んでみる!
E子さんは、モラトリアムをやっているとか、自由気ままでのんきなものだとか、だらけきっているとか、いろいろ言われるであろう。でもそれが本来の「大学生」というものであり、放浪や探求の中から「解のヒント」をつかんでくれれば、それでよかったのではないか。
世の中は、学校で教わった解答で「かた」がつくほど単純ではない。むしろ迷いの多いE子さんの探求の経験こそが、社会に出てからいろいろ役に立つのではなかったか。