大変革の時代のKuuki
2010-07-05 12:03
いまこそ時代の大変換期ですべては変容しつつあり、新しい時代がすぐ目の前に出現しつつある。などという言い方は、いつの世でも人間が叫んできたことで、特段に目新しい言い方ではない。古くは旧約聖書の予言者がいたし、ノストラダムスの予言や、千年王国の思想など枚挙にいとまがない。
自分の生きている時代こそ世のなかの大変換期だ、という考えは「自分こそ特別の存在だ」と思い込みたい人間の心理ゆえかもしれない。特殊な時代に生きた特別の存在というわけだ。その方がエキサイティングだし、自分は何億人という過去現在未来の名もない人間の一人に過ぎないという絶望感からすくわれる。
アメリカくんだりで8年もかけて「歴史学」を勉強した私も、まがりなりに歴史屋気取りとして、怪しげな終末論や、ニューエージ思想、世紀末思想にパラダイムシフト論、などには用心してお付き合いするようにしてきた。非プロフェッショナルな歴史観だというわけだ。「近代の終焉」などという難しい論議も、そうかも知れないしそうでないかも知れないという良いかげんな態度で接してきた。
だが先日読んだ斉藤貴男著『カルト資本主義』は、時代の転換期ということで、妙に説得力があった。本の終わりの方で斉藤さんは次のように言う。「日本的経営とは、従業員が企業に対して全人格的な忠誠心を伴う労働を捧げる見返りに、終身雇用をはじめとする生活の安定を与えられるシステムであった・・・だが、このシステムの前提は、すでに崩れつつある。終身雇用は当たり前の雇用慣行ではなくなった。リストラなる便利な用語が、容赦ない首切りを容易にさせている。経営者たちは、それでも従業員の忠誠心だけは失いたくない・・・・」(文春文庫版p437)。
疑似宗教としての日本的経営方法が崩れた結果として、経営者は新興宗教並みのスピリチュアリズムに傾斜しがちだし、従業員のほうは同様の動きに加担するか、あるいは心を病んでしまうということになる。
わが大学のA子さんも、B子さんも、はたまたZ子さんも、こういう世の中の空気を読み取ってしまっているのではなかろうか?神妙にふるまって会社の面接試験に受かっても、そのあとに待ち受けている世界について、うすうすとあるいははっきりと察知しているのではなかったか。
なかなか就職したがらない。重い腰が上がらない。腰を上げたにしてもいまひとつ気が乗らない。それは「当人たちに自覚がない」のではなくて、「先が見えすぎている」のではなかろうか。大人の言うことに反抗しない良い子であり、事態を正確に言語化することの苦手な彼女たちは、ハッパをかけても「ハイがんばります」とは言うのだが、内心はもっと別のところにあるような気がする。
もともと日本社会の女性は「出世競争」からはずされた存在だった。終身雇用なる日本的システムからみれば、員数外の「あぶれ者」的な存在だった。そのため資本主義社会のオキテでがんじがらめになった男性よりも、自由に発想することが可能だった。カルト資本主義にこだわることなく、簡単に職場を変えたり、退職を繰り返したり。軽やかに思考する彼女たちは、服装にしてもとっくの昔に「クールビズ」などを実現していた。
時代の大転換のなかの女性の直感。といって言いすぎならば、現実社会にあわせた柔軟な行動様式。「崩れた」いまの時代に必要なのは、コレだったのではないかと、私などは身びいき的に考えるのである。つまり就職をしない、フリーターで必要なお金を稼ぐ、社会に参画しないでぶらぶらする・・・・などという行動は、時代に対するそれなりの雄弁な「言語」だったのではないか。
でも大学まで出て就職しないなんて、と「古い言語」をあやつる世間は騒ぐ。学費を出した親も心配する。大学のランクは「就職先」で決まるというプレッシャーもかかってくる。そこでどうなるかというと、無理やりの就職斡旋、乗り気のない人たちを集めての就職心得講座、資格を持っていることが有利だとばかりに、「教育」よりも「資格取得」に力を入れる・・・・
時代と切り結び、時代を客観的・批判的に見つめる人材を養成するのが大学ほんらいの機能だというのに、「いまの日本社会の風潮」や、勝手に作り上げた想像上の「社会的要請」に押されて右往左往しているのが大学の現状だ。右往左往ならまだ「求道的」で大学らしいが、「答えはコレだ」とばかりに資格取得・就職率向上・想像上の鋳型強制・一昔前のモーレツ資本主義時代の言説の繰り返し、が主流となる。
かくて大学は「大学」らしさを自らの意思で放棄し、大変革の時代に完全に乗り遅れる。時代の空気を察知している学生には見放される。あるいは無理な行動を押し付ける。このような時代の読み違え、無知と独りよがりは、若者言語でKY(空気が読めない)という。
ほんとうは、大学も、社会も、親たちも、世の大人たちはKYが多くて、寄ってたかって若者たちの言語を無視し、彼女らをダメにしているのに。