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磨かれる球はひかり、回転する球は世界をひらく

2011-07-13 19:02

陽の光が眩しくも、夏風吹く滝山の丘は心地よい。そよ吹く風は、学期終了が間近であることを告げる。学長の職責を受け継ぎ、「互いの能力の発揮できる大学」を目指して、早くも4ヶ月が過ぎた。夏本番が到来する。だがやってくるのは長い休暇だけではない。この季節、学生と教員相互の授業評価がまち受けている。情報手段の多様化とともに、大学にもさまざまな調査やアンケートがひきもきらさず求められる。まさに「評価文化」全盛の昨今だ。様々な思いをこめた回答は、紙面上では数値となり、それが読者にあるイメージを与える。一方、都内の電車はあたかも「オープンキャンパス号」のように大学広告の波で埋め尽くされ、乗客たちをキャンパスへといざなう。今年もそのシーズンが近づいて来た。「きて、みて、体験しよう!きっと、未来の自分がみえてくる」本学もこのスローガンのもと、オープンキャンパスの季節がはじまる。

 

燔祭の炎の中に歌いつつ

白百合おとめ、燃えにけるかも  (永井隆 作)

 

一瞬のうちに原子爆弾(1945年)により被爆し、一滴の水も飲めずに逝かれた長崎純心の「純女学徒隊」の先輩たちの姿を、自らも被爆しながらも被爆者の治療にあたった永井隆氏はこう詠んだ.美しいカノコユリが咲く夏の日であった。想像を絶する十字架である。神々しい魂の昇華の時。時の違いはあれ、人は皆ひとり残らずして、いのちの創造主の訪れの“時の足音”を聞く。

命の長さではない。いのちの質こそ大切である。純女学徒隊の証しはこのことを伝えている。何が重要で、何が価値あるのかを識別する学びが必要となる。人間は人と人との出合い、仲間と寄り添うことによって、ほんとうに人間らしくなる。醜さをそぎ落とし、不足を補い充たし、円満になる。円満で芯のぶれない球は、いざ転がっても傷つかず、たとえぶつかりあっても、互いの質感を感じ響きあう。球はまた回転すればするほど、多くの世界を旅し、多くの世界を見せてくれる。日本語の四文字熟語にも「七転八起」とある。転ぶことは決してマイナスではない。むしろこのマイナスとも見える体験が、またこの体験を重ねた数が、芯のある美しい豊かな球を形づくるからだ。

暑さの中で水を求めて逝かれた学園の先輩方も、短くも清らかな美しい球の人生を残してくださった。永井隆氏と同郷の純心学園の創立者江角ヤス先生は、のちにその思いを「どの生徒も頭の下がる生徒たちばかり。それなのに、水いっぱいももらわずに、生きながら焼けて死んでゆかれたとは・・・」と伝える。今年も学園の庭に白百合が咲いた。大自然を賛美するかのように咲いた。冬の厳しい日々に蓄えたエネルギーの表出。それゆえ花は咲いて初めて、「美」が際立つ。

 

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≪燔祭のゆり≫(部分)Sr.K.Urata

 

■「浦田カズ代展」ご案内 

2011年 7/21(木)~9/21(水) 聖マリアンナ医科大学病院3Fチャペル・ギャラリー