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わたしとともに、旅しませんか?

2011-12-06 16:15

 誕生日は誰にとっても厳粛な「いのちの旅」の第一日目であり、記念すべき神聖な日でもあります。ところで2000年を過ぎた今もキリストの誕生(降誕)を祝う"クリスマス"が、間もなく訪れます。なぜクリスマスがくり返し祝われてきたのでしょう? 実は、キリスト教世界にとって、それ以上に大事なできごとがあったこと。それが理由の重要な部分を占めています。「幼子」の姿で誕生したイエスは、かの「十字架に磔(はりつけ)にされ、三日目に死者の中から復活された(ヨハネ福音20章1~18節)」という驚くべき事件の中心人物であったからです。聖書は「復活」から逆算して「誕生のメッセージ」を書き伝えています。

 聖書によると、かれは家畜小屋の片隅で生まれたというのです(ルカ福音2章1~20節)。それほどに貧しく、小さく、惨めと見える様子で生まれた幼子イエスの誕生日が今日まで続くことには、何か深い意味があります。ちなみに、西欧では≪降誕≫のできごとを主題とする多くの芸術作品があり、作品には時代や各国の文化が反映され、「イエスの誕生」を通してその時代の社会的背景を知ることができます。

 今年の日本のできごとは、「東日本大震災」や「台風」でした。多くの方が大切な人を、家を、これまでの人生を奪われました。その悲しみや苦しみ、誰にも言えない悩みや心の叫び、私たち人間の負の遺産と思われる部分を共に担い、十字架の頂点まで捧げ尽し、魂を昇華し、正の遺産へとお伴する方こそ、この十字架のイエスなのです。

 幼いみどり児の姿で生まれるイエスは、心の寒さに凍える人間の側に、声なき声で叫び続ける人々の傍らに寄り添い歩むために、新しい「いのちの旅」を共にしませんかと、この地上に来られるのです。 心の扉をノックする「いのちの旅人」を、優しい心、温かい心、寛大な心でお迎えしたいものです。そしてその心を、私たちの身近で悲しんでいる人、苦悩する人、悩める人にも向けましょう。そこで旅人はこたえるでしょう。「この最も小さい者の一人にしたのは、すなわち私にしてくれたこと(ルカ福音25章40節)」と。

 

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東日本に祈りをこめて

≪ 降誕 ―海を見守る天使たち― ≫

Sr.浦田カズ代