ホーム > 大学案内 > 学長室から > 2012年2月

愛を分かち合う絆

 昨年の一年を表す文字に「絆」が選ばれた。真の絆とは何か。さらに深めたい一年である。「絆」という文字は、糸辺に旧字の「半」と書く。つまり二本の糸を縒(よ)ることによって、さらに一本の強い糸になるとも読み取れる。縒られた大きな縄は、小さな縒られた藁紐によって何倍もの力を発揮する。二本の紐を繋いでも、さらに長くなり利用価値も高い。所詮人間は半人前にすぎない。この半分の価値しかない人間が誕生し、ある社会で縒り合い、個性を活かし、絆を深めて素晴らしい社会をつくる。 

 

 しかし、現代は豊かさのゆえにこの「絆」が失われつつある。先の東日本大震災は、この絆の意味を深く体験させ考えさせてくれた。日本中が厳しい寒さや空腹の体験を分かち合い絆を再発見し、本当の人間の在り方を見つめ直したのだ。この半人前の人間は、物があって、誰かがいて、時間が与えられて、場所があって、はじめて本物の人間となるように生まれている。 

 

 古代のアフリカでは、首飾りは単なるオシャレの道具ではなく、同じ首飾りを所有することによって、同じ部族、同じ仲間という意識を高めたという。それは共に居ることではなく、苦しい時に支え合い助け合う仲間であるという、共に生きて行こうという固い絆のしるしであった。学生服、同業の制服、かたちは異なるが家風や同じ精神を生きる社会とも関連があるように思う。

 

 かつて、インドの福者マザー・テレサの修道院では、ミサや祈りに使う聖歌集は一人に一冊ではなく、二人に一冊を使用するという記事を読んだことがある。それは貧しさに生きる修道院だからではない。愛を分かち合い生きる真の人間の在り方という。人間はどこまでも、自分の名誉や欲望を追い求める傾向がある。欲が悪く作用すれば、人間という器は大きくなるどころか小さくなり、社会は混乱し分裂する。 

 

 まもなく卒業生が社会へ羽ばたく。「絆」とは単なるネットワークではない。いかなる糸とも縒りあわされて、はじめて強力な絆を生む。これからの人生はどんな紐と縒りあうのか。気に入る紐も、気にいらない紐もあろう。これが社会である。相手がどんな紐であろうと、縒りあうことで豊かで強力になることは確かだ。それに正義のみでなく愛という魂が入り、人生は死を超えた永遠の輝きを放つ。

 

 blog022902.jpg

≪ 鳥のいる聖家族 ≫( 油彩15 )
Sr. 浦田カズ代

いのちの木 -寄り添うこと、寄り添う者-

 人は何かにすがると、心が落ち着く。特に女性には、ある大きな強いものに寄り添いたい心理があるという。しかし、そこには落とし穴もある。寄り添うものが、果たして倒れないものかを確認する前に、信じきる脆さもあるからだ。目に見えるものに寄り添うことで、一見安堵の念はあるが、天来授かった能力を、十分に発揮できるとは限らない。

 物質文明に浸り、物欲を謳歌する現代社会において、人は寄り添うこと、真の寄り添うべき者から離れていないか。寄り添う者が脆くも倒れ消滅するものであれば、信頼していた宝は目前にして崩壊する。ただ憎悪や悲哀感や失望感のみが残り、私たちの人間性を蝕んで行く。最悪の場合はいのちまでも蝕む。今年の初詣も祈りの場が賑わった。日本の素晴らしい伝統である。寄り添う方に一年を委ね、希いをこめる。美しい人生の一齣である。 

 ピカソの抽象画が難解という学生に、ある外国人が「テレビの画面が集合したと思えばよい」と説明していた。確かに人生には難解なことが多くある。しかし、視点を変えれば何かが見えてくる。画面の一つ一つに伝えたい何かがある。その集合は実に妙に見えるが、違った感性で見つめると、そこにも「美」があることに気づく。新しい発見は「妙」から「美」へと変化させ、研ぎ澄まされた感性は「絶妙な美」の感動を生む。何事も前進するためには、「時」や「視点」を変える必要もある。それは夢や希望を「冒険」というレールに乗せてくれる。

                 「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。・・・・
                  働いたのは、実はわたしではなく、
                                             わたしと共にある神の恵みなのです。」(Ⅰコリント15章10節)

 聖書の中で聖パウロは言う。善であり美の創り主である神に寄り添うこと、そこはぶれない真理があるようだ。新年度を前に視点を変え、堅固な何かを模索しなければならない。模索のみではなく、そこに行き着く方向を見つけたい。寄り添う方に支えられた真の恵みが見えてくるからだ。
 春にはまた、予期しない出会いや機会が待っている。この寒風の中、わたしという小枝は「いのちの木」に寄り添い、真の養分を受け、希望の春に備えているか。寄り添う者に心の目を向けるとき、人は自ずと恵みや感謝の念に満たされ、喜びはさらに輝くのである。

 

 IMG03.jpg

 ≪いのちの木≫ (ステンドグラス下絵:部分)
Sr. 浦田カズ代