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令和2年度「第22回 卒業証書・学位記授与式」青木学長の式辞を公開します

 

現代文化学部、および看護学部の卒業生の皆さん、本日はまことにおめでとうございます。また、これまでご子弟を見守り、支えて来られましたご家族、ならびに関係者の皆様には心よりお祝いを申し上げます。 さて、昨年来、世界中で感染が拡大した新型コロナ感染症は、ワクチンが開発され、接種が始まったとはいえ、いつになったら収束するか、いまだ見通しが立っていません。わが国でも様々な行事が縮小、あるいは中止になっています。
 本日の卒業式も、昨年と同様、感染拡大の防止策を万全とするべく、従来とは異なった形式で行うことになりました。
 本来ならば、学生生活の最後として、充実した一年となるべきこの期間を、不安と焦燥の中で過ごしてきた卒業生やご家族の方々にとって記念すべきこの式が、かなり変則的な形で行われることになってしまいました。残念ではありますが、よろしくご理解のほど、お願い申し上げます。
 しかし、この厳しい一年を経て、無事に本日の卒業式を迎えられましたことは、大学にとっても大変感慨深く、例年とは違った喜びを感じ、また安堵しているのも事実であります。
 そこで、本日の卒業式では、皆さんがこれから出てゆく社会は今どうなっているか、そしてその中で皆さんはどのような心構えで仕事をしなければならないか、をお話しします。
 まず今の社会の状況です。
 新型コロナ感染症によって、単に行事などが縮小されたり中止になったりしただけではなく、社会そのものも大きく変わりました。
 昨年は、新型コロナウイルス感染そのものに対する不安、感染拡大防止策としての社会活動の制限と経済的問題、それらによる心身へのストレスや家族間での問題、さらには、行動制限に対する各人の認識の違いから来る相互の不信など、多くの問題が発生しました。
 新型コロナ感染症は、変異株が出ていることからも判るように、ある日突然消えてなくなることはありません。
何れはワクチンも行きわたり、このウイルスと共存するようになるだろうと言われていますが、それは、まだ数年先の話でしょう。
 したがって、現在少し落ち着く傾向にあるとはいえ、“人類にとって百年に一度”の脅威である、とこの感染症を恐れてきた社会が、その存在と付き合いながら今後どのような姿になるのか、依然として不透明です。
 見通しのきかない状況は不安を呼び、不安は不信を呼び、そして不信は排除、差別につながりやすいのです。数字に表わされるものだけではなく、人々の意識がどのようになって行くのか、も問題なのです。これはある意味、感染症そのものより怖いものかもしれません。 
 今回の新型コロナ感染症拡大は、今まで隠されていた社会の問題点、あるいは弱点を明らかにしたとも言われています。
 中国の古いことわざに“疾風に勁草を知る”という言葉があります。勁草とは、風に負けない強い草、という意味で、このことわざの意味するところは、厳しい状況にさらされた時になって,初めて真に強いものが判る、ということです。
しかし、それは、逆に考えれば弱いものもはっきりとしてしまう、ということを意味する言葉にもなるのです。
 つまり社会が厳しい状況に置かれると、それまで隠れていた社会の問題点があらわになる、あるいは弱い人たちがさらに苦しい立場になってしまう、ということでもあるのです。
 今回の新型コロナ感染症が最初に報告され、また都市ごと封鎖されたのが中国の武漢ですが、その武漢在住の作家が、封鎖された日から、封鎖解除の日までつづった六十日分のブログが昨年八月に本となって出版されました。
 「武漢日記」がそれです。その本の中に書かれているある文章は、新聞やテレビなどで紹介されていますから皆さんの中には既に知っている人も多いと思いますが、要点を申し上げますと、こういう内容です。
 “ある国の文明度を測るのは、ビルの高さや、車の速さ、また、科学技術がどれほど発達しているか、ではない。ましてや、どれほど豪華な会議を開くかでもない。唯一の基準は、弱者に対して国がどういう態度を取るかだ。”と書かれています。
もちろん科学技術の発展による恩恵を享受している我々としては、ここで指摘されているすべてを否定するのは無理がありますが、今一度考え直す重要な点を述べているのも事実でしょう。
 それは、ここにかかれていることは国や政府がどのような方策をとるか、について言っているのですが、実は社会一般の人たちが、そのような、弱い立場の人たちをどう受け止めているか、ということも問われていると考えるからです。 
 さて、そこで皆さんです。
 皆さんは、この四月から社会に出る訳です。皆さんの多くは、病める人に寄り添う、あるいは幼い子どもを護り、育てる、という立場になると考えます。
 皆さんが就く仕事は“その場所に居ないと成り立たない”、そういう仕事です。ITが如何に発達しようとも、看護、教育、特に子どもの教育や保育は、決してITでは代用出来ないのです。
 直接“ヒト”に接することなくしては、果たせない仕事です。
 ここで言う“ヒト”とは、目の前にいて顔が見え、名前もある具体的な個人を指しています。しかも、その人たちは、それぞれ全く違った人たちなのです。年齢も、性格も、社会的背景も、考え方もすべて異なります。
 そして、皆さんがこれから接するであろう人たち、すなわち心身を病んだ人や幼い子どもたちですが、この人たちは、全てとは言いませんが、社会が厳しい状況になればなるほど真っ先に影響を受けやすい立場にあるのです。
 皆さんはこのような人たちに直接向かい合って、それぞれに合った対応をしていかなければなりません。
 この人たち、子どもの場合はその保護者もですが、この人たちが抱えているそれぞれの問題点というのが、多くの場合、厳しい社会の影響の結果の表れでもあると理解するならば、社会についての関心を持つことの大切さを理解できるでしょう。
 今まであったこともない、初めてのおとなや子どもに接し、その人たちにとって何が必要かを判断するには、自分や自分の身近な人たちのことだけのことを知っているだけではだめです。ヒトは往々にして、自分が知っている、あるいは認識している範囲のレベルでしか、ものごとを理解しないからです。
 広く社会の変化について常に関心を払ってください。
 自分の身近なこと以外には無関心であったり、自分だけが一所懸命努力するのは損だ、という損得勘定の気持ち、または、自分一人だけが何かやっても何も変わらない、といったあきらめの気持ち、このような気持ちを持つことは、本学の建学の精神、教育の理念からもっともかけ離れたところにあるもので、本学の卒業生としては決して在ってはならない姿勢です。
 ぜひこのことを忘れないでください。
 そして、ここでもう一点卒業にあたって、覚えておいてほしいことを話します。
 皆さんがこれから就く仕事、社会にとって、それがなければ社会が成り立たない仕事、そのような仕事についている人たちのことを、今、エッセンシャル・ワーカーと呼び、あらためて社会から注目され、感謝もされることが多くなっています。
 一方ではその逆に、多くの人たちと接しているからといって、ウイルスを運んで来るのではないか、と恐れられ、時に差別的扱いを受ける、といったことも起こっているようです。
 感謝され、評価されることは、皆さんが職責を果たすうえで大きな励みになり、またやりがいを感じることにもつながると思います。
 あるいはその反対に、近くに来てほしくないと敬遠されることで、皆さんの気持ちは萎えてしまうこともあるでしょう。
 これから社会に出ていく皆さんに、そのような社会の評価などに一喜一憂するな、と言っても、そう簡単には割り切れないことですし、平静心をもって過ごす、などということは、歳を経てそれなりの経験を積んだ人ならいざ知らず、社会に初めて出たばかりの人たちには難しいことかも知れません。
 しかし、つぎのことだけは覚えておいてください。
 それは、皆さんがこれからする仕事は、社会にとって無くてはならないものであり、誰かがやらなければならない仕事なのだ、ということをです。
皆さんが本学に入学したときに抱いていたであろう将来への思い、自分が描いていた将来像、それを忘れないことが大事なのです。
 気負いすぎることなく、恐れず、かと言って侮らず、自身の責任を果たしてください。
 皆さんのこれからの活躍を祈ります。
 本日は本当におめでとうございます。

 

 令和3年3月13日

東京純心大学  青木 治人