いのちの木 -寄り添うこと、寄り添う者-
2012-02-02 14:13
人は何かにすがると、心が落ち着く。特に女性には、ある大きな強いものに寄り添いたい心理があるという。しかし、そこには落とし穴もある。寄り添うものが、果たして倒れないものかを確認する前に、信じきる脆さもあるからだ。目に見えるものに寄り添うことで、一見安堵の念はあるが、天来授かった能力を、十分に発揮できるとは限らない。
物質文明に浸り、物欲を謳歌する現代社会において、人は寄り添うこと、真の寄り添うべき者から離れていないか。寄り添う者が脆くも倒れ消滅するものであれば、信頼していた宝は目前にして崩壊する。ただ憎悪や悲哀感や失望感のみが残り、私たちの人間性を蝕んで行く。最悪の場合はいのちまでも蝕む。今年の初詣も祈りの場が賑わった。日本の素晴らしい伝統である。寄り添う方に一年を委ね、希いをこめる。美しい人生の一齣である。
ピカソの抽象画が難解という学生に、ある外国人が「テレビの画面が集合したと思えばよい」と説明していた。確かに人生には難解なことが多くある。しかし、視点を変えれば何かが見えてくる。画面の一つ一つに伝えたい何かがある。その集合は実に妙に見えるが、違った感性で見つめると、そこにも「美」があることに気づく。新しい発見は「妙」から「美」へと変化させ、研ぎ澄まされた感性は「絶妙な美」の感動を生む。何事も前進するためには、「時」や「視点」を変える必要もある。それは夢や希望を「冒険」というレールに乗せてくれる。
「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。・・・・
働いたのは、実はわたしではなく、
わたしと共にある神の恵みなのです。」(Ⅰコリント15章10節)
聖書の中で聖パウロは言う。善であり美の創り主である神に寄り添うこと、そこはぶれない真理があるようだ。新年度を前に視点を変え、堅固な何かを模索しなければならない。模索のみではなく、そこに行き着く方向を見つけたい。寄り添う方に支えられた真の恵みが見えてくるからだ。
春にはまた、予期しない出会いや機会が待っている。この寒風の中、わたしという小枝は「いのちの木」に寄り添い、真の養分を受け、希望の春に備えているか。寄り添う者に心の目を向けるとき、人は自ずと恵みや感謝の念に満たされ、喜びはさらに輝くのである。

≪いのちの木≫ (ステンドグラス下絵:部分)
Sr. 浦田カズ代
